おかげをいただく器の作り方

【字幕】「体調を崩した時の信心」金光教平戸教会 細川佳世師(2019年1月14日の教話)

【字幕】「体調を崩した時の信心」金光教平戸教会 細川佳世師(2019年1月14日の教話)

これまでにない苦しみを感じて

皆様よくご参拝でございます。

私自身が生きていく上で一番大切にしていることは

どんな時もお取次を頂くということです。

その生き方は私が教師になる前も、教師になった今も変わることはございません。

お取次では、その時その人にとって必要なことを教えていただけます。

佳世先生
佳世先生
つまりポイントは「今しかいただけない」というのがお取次なのです。

本日は私がここ最近、まさに
今しかいただけないお取次で、

命を助けていただいたお話をさせていただきます。

私はここ数日前まで体調を激しく崩しまして

珍しく熱も出ていました。

休息を取るためにしばらくお布団の中で

安静にさせていただいておりました。

私は熱にうなされながらもお布団の中で

ここまでの疲れをこうして出していただいている

お働きへの御礼を神様に申し上げておりました。

それから時間が経つにつれて、
どんどん症状は悪化していき

これまでにない苦しみを感じるようになりました。

自分の声なのかなと思うほど

本当に苦しくて、うぅうう…苦しいと

自分の声なのかなと思うほど

苦しむようになりまして

私は死ぬのかもしれないという不安
さえよぎってくるようになりました。

命の御礼をさせていただく

私は教師でありますが一人の氏子でもあります。

私は信心の師匠に日々おすがりして、

お取次を頂きながら生きていかないと
立ち行かない我が身であります。

なんとか信心の師匠にをおすがりしたくて

でも布団から全く起き上がれないし

信心の師匠のところに連れて行ってもらうにしても

ここを平戸教会から兵庫県の尼崎教会
まで片道15時間はかかります。

そんな私は命からがらメールを
打たせていただきました。

そしたら信心の師匠が

こうお取次くださいました。

「ここまでの命の御礼をさせていただきなさい」

「布団の中でも御礼は言えます」

「ここまでの命の御礼を申し上げなさい」

ということ

お取次ぎくださったのです。

私はドキッとしました。
なぜなら最近の私が忘れていたのは

ここまでの命の御礼だったからです。

これまで何度も、ない命を取次ぎ
助けていただいてきた私は

この熱で今死んでしまっても
悔いはひとつもありませんでした。

それなのに御用をさせていただきたい。
人助けの御用をさせていただきたいという

思いはいつしか何もできない自分に焦り

ここまでの命の御礼をすっかり忘れていたのです。

佳世先生
佳世先生
日々信心の師匠である親先生にお取次を頂く中でまさに今しかいただけないお取次を頂いたのでした。

それも日々どんな時も、親先生の
お取次を頂いていたからこそ

難儀をよく見ていてくださっているし

だからこそ今しか頂けないお取次を頂けるのです。

信心の師匠であります親先生から、
そのようにお取次ぎくださった後

私はお布団の中でここまでの
命の御礼を申し上げるようになりました。

そしてその数時間をあっという間に熱は下がり

頭痛は治りすっかりと元気にならせていただきました。

心におかげをいただくとこうして
身体もおかげをいただけるのですね。

どんな時もお取次をいただく

皆様にも生きていく上で
一番大切にしていただきたいこと。

佳世先生
佳世先生
それはどんな時もお取次を頂くということです。

お取次ではその時その人にとって
必要なことを教えていただけます。

つまり「今しかいただけない」というのが
お取次なのです。

こうしてここ御結界でお取次してくださる

先生のおっしゃることは日々変わります。

例えば、助かりの地点という1つの
場所があった時に、氏子が

それより右に行き過ぎていたら

「左へ行け」と言われる時もございましょう。

氏子が助かりの場所から

左に行き過ぎていたら

その時は「右に行け」と言われる時もございましょう。

お取次では神様からご覧になってその方が今

どこへ行けば助かるのかを教えてくださるのです。

ここからも、どんな時もあなたにお取次ぎくださる先生に
助けていただきながら、守っていただきながら生きていくこと

ともどもに大切にさせていただきましょう。

佳世先生
佳世先生
今がどれだけ苦しくてもお取次を いただけば、必ず助かりの道は開けてきます。

それが私たちが信じているこの天地全体をお体としている神様からの願いなのです。

本日もよくご参拝でございました。

0950-22-2789